「アパルーサの決闘」書評・感想・レビュー:西部劇ファンだけでなく、文学好きな方にもぜひ読んでほしい大人の西部小説

『アパルーサの決闘』( ロバート・B・パーカー著/ 2007年発行)

アパルーサの決闘 (ハヤカワ・ノヴェルズ) | ロバート・B. パーカー, Parker,Robert B., 博, 山本 |本 | 通販 | Amazon

 

内容紹介と感想

本作は、西部劇ファンはもちろん、アメリカの歴史や文化・価値観に興味のある方、文学好きな方に、幅広く読んでほしい「大人」の西部小説だ。

銃撃戦やアクション主体の、ヒロイックで三文小説的な内容かと、やや先入観を持って読み始めたのだが(そういう側面もあるが)、普遍的で説得力のある人間描写と、人間関係(社会や男女関係)の力学がしっかりと描かれている物語であった。

人間の本質をついたセリフや、なるほど!と思わせる格言的な言葉も随所に登場してハッとさせられる。

アメリカの社会状況や価値観、町の情勢も過不足なく描写される。特に、西部劇に度々出てくる、暴力と法律の関係性や、それについての主人公らの考えや葛藤も表現される。

また、会話主体の、無駄がなく、リズム感のよい文章と、数ページで終わる章立てのため、極めて読みやすいが、同時に、中身は深くて濃い。

文章全体にも細やかなケアが行き届いており、小さな伏線回収(前の状況の補強説明)がいくつもあるおかげで、登場人物の気持ちや、何が原因で、何が起こっているのかという状況もわかりやすい。そのため、求心力のある物語展開も相まって、読み始めると止まらなくなっていく

特に、主人公たちの保安官ビジネスのやり方や、この状況をどうやって解決する?この人はなぜこんな行動をした?といった数々の場面について、なるほど!というやり方や考え方が披露され、興味が継続していく。

そして、あっと驚く劇的なストーリー展開や、西部劇ファンにはたまらないシチュエーション(追跡劇やいくつかの銃撃戦)、カタルシスがありつつも胸をえぐるような終盤の展開に、強く心を打たれた

 

物語の舞台は西部開拓時代のアメリカ。アパルーサという銅の鉱山町は非常に治安が悪い。レストランで食べても代金を払わない輩がいたり、街でレイプや殺人が発生したり、荒くれものがのさばっている状況だ。

保安官ら3人が、殺人事件の犯人が働いている牧場に、正面突破で逮捕しにいくが、返り討ちにあう。保安官と助手1人が撃ち殺され、もう1人の助手は逃げてしまうのだ。

とうとう町は無法地帯となってしまった。牧場主のブラッグとそこで働いているカウボーイが悪の元凶であった。

ここに、荒れた町を立て直してきたことで有名な主人公2人組(ヴァージル・コールとエヴェレット・ヒッチ)が現れる。町の役員たちはその2人に、保安官として町の立て直しを依頼する。

ヴァージルとエヴェレットは、どうやって対処していくのか?

 

 

以下に、おもしろいと思った点をつらつらと書いてみるが、「物語の前半(本全体の1/3強)」のネタバレとなっている。少しずつ読んでみて、これ以上は本を読んだほうがいいと思った時点で、この記事を読むのはやめてほしい!そして、実際に本書を手に取って読みはじめていただきたい。

なお、本の「中盤以降」の展開については、決定的なネタバレはせず、おもしろいと思った側面を軽く説明するレベルにとどめるが、ある程度のネタバレと、ほのめかしはあるので要注意!

 

 

保安官ビジネスのやり方(序盤のネタバレあり)

個人的には、「この無法状態をどうやって立て直していくのか?」という現実的で、具体的な方法が知りたくなった。

相手は、無法者が15人以上いて、町の人や保安官を完全になめきっている。仮に自分がこの状況に直面したらどうする?彼らはどうやって解決するの?と気になり、どんどん先を読みたくなるのだ。

 

まず(その前に)、当然ながら、ヴァージルとエヴェレットは保安官をやって食べていかなければならない。保安官は彼らの食い扶持だ。

その視点で、まずは彼らの「保安官ビジネス」の体制作り、新規開拓の流れが興味深かった。

 

大前提として、保安官としての「腕前」が優れていなければならないのは言うまでもない。その点は、第1章をはじめ、様々な場面で詳しく描かれていく。

主人公たるヴァージルは、銃が早いだけでなく、経験豊富で冷静沈着、状況の正確な察知能力や対応力に秀でている上に、肝も据わっている。銃口を向けられても動じない(そういう状況に長年耐えていける精神力を持つ)。加えて、相手の先を読み、出し抜く賢さも備わっている

一方、ヴァージル目線では、自分を補ってくれるパートナーが必要であった。そこに理想的ともいえるエヴェレットとの出会いがあった。助手であるエヴェレットは、軍隊上がりであり、駅馬車の護衛や、売春宿の用心棒などの荒々しい仕事にもたずさわる中で、数々の銃撃戦もこなしてきた。コミュニケーション能力も高く、まさに理想の相棒といえる。

この二人で、荒れた町の治安を回復していき、時間をかけて実績と評判を高めてきた。

二人はこのような経験と能力を売りに、さらに別の荒れた町を訪れ、町の名士や役員らに保安官として売り込んできたのだ。

 

まず、保安官になる条件として、法律を定めることを町に要求する。しかも、その法律はヴァージルが作ったものでないといけない。町としては、それではヴァージルたちが町を支配することになるので難色を示すが、ヴァージルは、法を執行し、合法的に取り締まりをやっていくための絶対条件として、この要求をゆずらない。

細かく法律を設定しているところが、これまでの経験の深さも物語ってもいるのだ。結局、荒れた町を何とかしなくてはならない状況で、お尻に火がついている町の役員たちは、この要求を呑むしかない。

 

これで、ヴァージルたちは、「実力のある自分たちの腕前」と「それを支える法律」によって、この町で保安官をやっていく体制を整えた

 

 

問題解決のおもしろさ(前半1/3強のネタバレあり)

次に、本格的に問題の解決に取り掛かることになる。今回の相手は、15人以上の無法者をかかえる牧場である。

上記の通り、前の保安官たちは、①犯罪をおこなった牧場主の手下3人の逮捕を目的に、②正面突破で牧場主らと対峙する、という手法を取り、見事にやられてしまった。

 

では、ヴァージルたちはどうやって対処していくのか?という興味が読書の推進力となった。

 

 

ヴァージルらにとって、「まずは対処療法」ではあるが、一旦、牧場主(ブラッグ)らに法律を守らせ、当面の治安を確保することが重要だ。

2人は新任保安官になると、すぐにバーで傍若無人にふるまっていた牧場の男達と対峙し、撃とうとしてきた3人を撃ち倒す。その後、話につけに来たブラッグにも法律を守れと迫り、その場の迫力で一旦引き下がらせる。

 

 

しかし、元凶を根っこから取り除くためには、対処療法だけでは足りない。とりあえず引き下がったとはいえ、ヴァージルたちに恨みと対抗心を抱いた牧場の連中がくすぶっているのだ。

よって、ヴァージルらは、「前保安官らを撃ち殺した」犯罪のために、牧場に逮捕しにいくという目的を明確にする。

もちろん、逮捕するといっても前保安官らとは、別の方向性で挑んでいく。

ヴァージルらは、①手下ではなく、トップである牧場主1人を標的にする。②正面から無謀に突撃したりはしない。牧場の動きを偵察し、牧場主一人になる状況を狙って、牧場主だけを逮捕する。

この方針に従い、では具体的に何から手をつける?ということに興味が移っていく。

 

 

ヴァージルたちは、まず、牧場付近の丘の上から、牧場を偵察することから始める。何日も現場を偵察して、牧場の構造や、牧場主(ブラッグ)や手下の一日の動きを把握する。その上で、「ブラッグが一人になる瞬間」を探り、「いつどこで捕らえられるか」を見極める。

また、わざと丘の上で自分たちが偵察するところを常に目撃させておき、いざ捕らえるという段階で、手下らを丘の上に向かわせるという仕掛けまで、準備周到に施しておく。

 

 

また、逮捕の方策だけでなく、「逮捕後に手下がブラッグを取り戻しに来た際の対応」まで事前にシミュレーションしていたであろうことが見てとれる。

 

手下らは20人でブラッグを取り戻しにやってくるが、こちらはヴァージルとエヴェレットの2人だけだ。どうやって対峙する?と思っていたところ、現実的で効果的といえる対処法を見せる

①牧場主(ブラッグ)を人質に取っているので、攻撃してきたらブラッグを殺すぞと脅す。

②同時に、対峙している手下のトップである(交渉中の本人)であるお前と、もう一人の(おそらく)リーダー格の男を次に殺すと宣言。つまり、「我々は2人しかいないが、お前たちのリーダー格の3人であれば撃ち殺せるぞ」と脅す。

③はったりではなく死ぬ覚悟で言ってることをわからせる。

④それでも、もし撃ち合いになったら、その3人を撃った後、すぐに後ろの建物に隠れて交戦することを想定しておく。

これほどの対応をされたら、手下が20人いてもそう簡単には撃ってこれないだろうと納得できるのだ。

 

 

ここまでの前半の物語で、ヴァージルらの能力や戦略的な動きに魅せられていく。

もちろんこれは物語であり、フィクションの世界ではあるものの、(彼らの腕前と経験を考慮すれば)それぞれのやり方に十分説得力が感じられるのだ。

 

僕自身はこの時点で、実際の保安官業や、問題の解決方法はどうだったのか、という歴史上の実例にも興味が出てきた。

 

 

波乱の展開と西部小説としての見せ場(少しネタバレ&ほのめかしあり)

しかし!ここから波乱の展開が始まる。相手側にも強力な助っ人が現われ、見事にヴァージルたちの弱点を突き、出し抜く事態も生じていく。個人的には、以下の点が読みごたえがあった。

 

まずは、西部劇につきものの追跡劇。ある状況から、追跡がはじまり、追跡者たちは馬の足跡だけでなく、馬や人間の排泄物、キャンプファイヤーの跡、食事の残りなどの痕跡を追っていく。他の足跡も見つかった場合、どちらが古い足跡なのかをじっくり観察したり、追跡する相手がどこかの町に立ち寄らなければいけない状況を推測したりして、少しずつ対象に近づいていく。

長い追跡だが、その間の会話によって登場人物の心境などが深掘りされたり、簡素な食事や洗濯をする生活感のあるシーンも描かれることで、アメリカ西部の厳しい荒野を馬で歩いていく感触が追体験ができる。

 

また、インディアンとの遭遇や戦いも興味深い。インディアンと戦う前の状況分析や戦いの描写、戦いを終わらせるインディアンの伝統的な手法が興味深い。

 

そして、最後の戦い(ショーダウン)の、「OK牧場の決闘」を彷彿させる現実的な銃撃戦の描き方にも魅せられる。

 

 

深く描かれる人間模様(ストーリー展開とは関係のないネタバレと、全体的なほのめかしあり)

このようなストーリー展開の見どころに加えて(いやそれ以上に)、人間描写や人間関係の力学が、説得力と普遍性を持って描かれている点が、この本のもう一つの大きな魅力だ。

 

 

まず、ヴァージルとエヴェレットの、パートナーとしての関係性が挙げられる。

エヴェレットはヴァージルの助手をしていて、この物語でも語り手でもある(シャーロック・ホームズのワトソン的な立ち位置)。

ヴァージルは上にも書いたように、保安官としての才能が傑出している。世の多くの天才やカリスマ的な人物がそうであるように、天賦の才を持つと同時に、欠陥を持ち、狂気をはらむ人物としても描かれる

物語の前半に、ヴァージルが個人的なイラつきのため、一市民をボコボコにするシーンが出てくるのだが、その際、エヴェレットがうまく立ち回り、ヴァージルを極めて適切にフォローする。すぐに被害者に見舞いに行って償いをしたり、訴えられそうな状況を説得して、トラブルが大きくなるのを回避するのだ。

それ以外の場面でも、ヴァージルと敵対する相手に対して一定の友好的なフォローをして、トラブルの種を少しでも取り除いておく。今の敵がこれからも敵であり続けるとは限らないのであり、このような配慮も重要だろう。

エヴェレットはそのことがよくわかっているのだ(もしくは彼にとってナチュラルな行動なのかもしれない)。そして、ヴァージルもそういった自身の欠陥を(おそらく)よく把握していて、エヴェレットの存在を重宝している。

欠陥があるといっても、もちろん周りの人間にとってヴァージルの存在は得難いものであり、エヴェレットにとっても自身の生きる糧でもある。相互補完が重要なのだ。

現実社会でもこのような状況はよくある。天才的な芸術家とか、圧倒的なカリスマで組織をグイグイ引っ張っていくリーダー(社長や首長など)のように、常人にはできない発想や行動力を発揮して、大きな成果を出していくが、行き過ぎてコンプライアンス上の問題が生じたり、多くの敵を作ったり、問題もついて回る。

その際に、最適な相談役・女房役たる人物がいれば、裏でフォローしたり、その人物が行き過ぎないように説得したりすることで、バランスをとることができるだろう。この本では、そのような現実的で生々しい側面がしっかりと描かれている。

 

 

そして、それ以上に見どころだったのが、女性の描き方であった。

ピアノ弾きとして街にやってくる美女(アリー)がヴァージルと恋仲になる。このアリーが、世の多くの女性の抱える幸せや不安、世渡りの処世術を見事に体現しているのだ。

例えば、アリーは「生きていく上で怖いと感じていること」について、「独りぼっちや、悪い男と一緒になってしまうことや、お金がないことや、住むところがないことよ。男がいなかったら、私はどうしたらいいの?」と語るシーンがある。現代のフェミニズム的な視点から見ると、いかがなものかという見方もあるだろうが、この時代の男社会のアメリカ西部で(いや現代においても)、多くの女性が抱える思いを代弁してはいないだろうか。

 

また、アリーの場合は、(本人の言葉や行動の他に)ケイティという売春婦が(ワトソン的に)語り手となり、アリーの言動を同じ女性の視点から解説していく。このことが、なるほど!と思わせると同時に、小さな伏線回収としても働くのだ。

例えば、アリーが、ヴァージルと恋仲にありながら、エヴェレットも誘惑するシーンがある。なぜこのような行動をとったのかについて、後にケイティは、ヴァージルに何かあった場合の予備としてエヴェレットをとらえているから、と説明する。

また、あるときアリーの裸をエヴェレットたちが見てしまう場面があり、その後、そのことをアリーがエヴェレットに思い出させるシーンが出てくる。これも後にケイティは、裸を思い出させることはアリーの誘惑術の一つだと説明する。

このように、数々の不安を抱えながらも、男社会でうまく立ち回り、たくましく生きていく女性(アリー)の描写に心をうたれる。特に、終盤にある事柄のベクトルが変わり、そのことを察知したアリーの処世術はお見事といえるだろう。

 

 

最後に、町にとって、産業と投資、経済の発展がいかに重要であるかということが「現実的に」描かれる終盤と、しかし!やはり西部小説として「ヒロイックで胸熱な」終わらせ方で魅せる結末もお見事。そっちでくるか!と驚くと同時に、主人公たちの想いや葛藤が突き刺さってくる、感涙ものの展開であった。

 

 

暴力と法律の関係性や葛藤について

西部劇でよく描かれる暴力と法律の関係性や葛藤が、この物語でも大きなテーマとなっている。結末のネタバレにもつながるので具体的には書けないが、あくまで法律に則った暴力以外はやるべきではないという登場人物の強い気持ちを描きつつも、最終的には暴力で解決するしかないという葛藤に対する、物語としてのバランスのとり方が興味深いものであった。

読者にカタルシスを感じさせるべく、免罪符付きで一線を越える形にぎりぎり落とし込む手法が、ジョン・ウェイン主演の西部劇「チザム」(アンドリュー・V・マクラグレン監督、1970年)に近い感覚を感じた。

暴力や違法行為によらない「悪」に立ち向かうにはどうすればよいのか、そもそもこの物語での「悪」とは何なのか等、いろいろと考えされられるのも西部劇や西部小説のおもしろい点ではないだろうか。

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