『荒野にて』(アンドリュー・ヘイ監督/2019年)
内容紹介と感想(ネタバレなし)
この映画、アメリカの田舎が舞台らしいという以外、ほとんど予備知識もなく、何も期待せずに見始めたのだが、序盤で一気に引き込まれ、終盤には号泣する始末であった。まさに、「良い映画をじっくりと見た後に感じる心の充足感」を感じることができる、手ごたえのある作品であった。
号泣と書いたが、これから見る方は、「感動もの」という期待や先入観なしで、ただただ登場人物たちの心境や生い立ち、目の前に起こる状況に集中し、ゆったりと「映画の質感」に身をゆだねてほしい。
主人公の15歳の少年(チャーリー)は、ふとしたきっかけで競争馬の厩舎(きゅうしゃ)で働き始める。この映画は、その後チャーリーが味わうこととなる、壮絶な孤独や喪失感、自身の居場所を探す悲惨な旅路を、心の支えとなる馬との交流を中心に、じっくりと描き切る。
スローペースで、テーマも重めの文芸作品なのだが、ストーリーそのものはわかりやすく、意表を突かれる展開もあり、飽きさせないエンターテインメント的な視点でも十分に楽しめる作品といえるだろう。
できれば予備知識の少ない状態で見ていただきたいので、これ以上読まずに映画を見てもらえれば幸いだ。ただ、ある程度の情報が入ってきてもよい方は、(決定的なネタバレはしていないので)以下を参考にしてほしい。
具体的な内容・感想(少しネタバレありの感想)
本作品は、近年非常に注目されている映画配給会社「A24」の作品。主演のチャーリー・プラマーの、自然でありながら気持ちが痛いほど伝わってくる演技が素晴らしく、ベテランのスティーヴ・ブシェミやクロエ・セヴィニーの、実際に馬のレース場で働いているかのようなナチュラルな存在感も素晴らしい。
映画の舞台は、アメリカのオレゴン州ポートランド。主人公のチャーリー(チャーリー・プラマー)は15歳で、父親との二人暮らし。母親はチャーリーが幼いころに出て行ってしまい、世話をしてくれた叔母のことを懐かしみながら生活している。
父親とは、友達のようなカジュアルで、会話も多い良好な関係だが、経済状況は良いとはいえず、父親が既婚の彼女を連れ込んでいる状況も描かれる。
ある日、チャーリーが馬のレース場のそばを通りかかると、車のパンクの修理を手伝ってほしいと声をかけられる。そのことがきっかけとなり、チャーリーは馬主であるその男(スティーヴ・ブシェミ)の元で働くことになり、心の相棒となっていくクォーター馬(リーン・オン・ピート:以下、ピート)と出会う。
仕事は、馬の世話が中心となるので、馬の存在感や、厩舎での仕事の様子が丁寧に描かれる(ホースウォーカーという器具で馬を歩かせる様子など)。また、レース場の様子も興味深い。レース自体の描写に加え、レース後にドーピングの検査が行われたり、現場のリアルな雰囲気が伝わってくる。
チャーリーが最初に多めの賃金をもらって喜ぶ様子や、それを家計の足しにすべく、食料品を父に買って帰る様子に、少年の純粋さや優しさが伝わってくる。一方で、次にもらった賃金がやや低いことを馬主にきちんと詰め寄る、しっかりした性格も描かれる。
騎手の女性(クロエ・セヴィニー)とも仕事での交流を深めていき、徐々にその厩舎が居心地のよい仕事場となっていく。馬主や騎手のこれまでの生い立ちや、馬主の経済状況などにも理解が深まることで、映画の背景が少しずつ体に入り込んでいき、物語の世界観が構築されていく。
しかし、父親が、不倫していた女性の夫の襲撃に合い、重傷を負うことにより、物語の展開が変化していく。心のよりどころとなる叔母に救いを求め、もう一人(一頭)の心のよりどころであるピートと共に、叔母がいると思われるワイオミングへ向かう旅路が描かれていく。
旅といっても、少年の孤独感とお金がない悲惨な状況がリアルに描かれるもので、楽しさは皆無といっていい。とにかく叔母に会うことだけを求め、トラブルに直面しても公的な助力には頼らないことを貫く。15歳ならではの危うく刹那的な行動と、自身の理想の居場所のみをまっすぐ追い求める強い意思の両方を感じながら見守ることになる。この辺りの、危うい状況におちいった若者を、第三者的にひやひやと見守る感覚は、アニメ「火垂るの墓」の少年と妹を見ているときの焦燥感と重なる気がした。
荒野での馬との旅は見どころだ。広大な荒野の空気感を味わいながら、ピートに語りかけるチャーリーの言葉を聞くことで、過去の家庭環境などがさらに明らかになっていく。
旅の途中に出会い、助けてくれる大人との交流も見ごたえがあった。助けてくれるといっても、よくある人情話ということでもなく、ひどい目にも合う。
ある家で、家主の男性から粗末な扱いを受けている女性と出会うのだが、その女性の、「ここ以外に行くところがないのでここにいるしかない」という語りが胸に突き刺さってくる。居場所を探す少年とは異なり、居場所はあっても幸せとは限らないという現実が身に染みる。
このような不規則的で、リアリズムにあふれたいくつかの出会いを通して、物語の現実構築が深まっていく。
とにかく、映画全体を通して、金がない、食べ物がないという切迫感と、それによって起こる問題が非常にリアルに描かれている。個人的には、そのあたりの描写がこの映画で最も見ごたえを感じた側面であり、アメリカの負の部分も見事にあぶり出されていた。
また、全編で感じられる馬の存在感が体に入り込んでくる。ヘッドフォンで見たのだが、馬のいななきや足音等の音も生々しく、馬映画としても見ごたえがあった。
チャーリーとピートの悲惨な旅路がどのような結末を迎えるのか、ぜひじっくりと体感してほしい。
関連しておすすめの映画
若者の刹那的な旅路という点では「イントゥ・ザ・ワイルド」(ショーン・ペン監督、2007年)もぜひ見ていただきたい。こちらは、アメリカ西部の様々な場所をめぐる旅情や、数々の風景が存分に楽しめる点も魅力だ。といっても、旅の目的や背景は180度異なっている。
「イントゥ・ザ・ワイルド」は、裕福な若者が真の自由を求めて(自滅的でありながらも、楽しく開放的な)放浪の旅に出るという空気があり、リベラルな感覚での旅路と、心の葛藤を描くことが本質だ。一方、本作「荒野にて」は、壮絶な状況におちいった15歳の未成年が、(公的な助力に頼らないという自発的な意思がありつつも)どうしても旅に出ざるを得なかった悲惨な状況を描いている。少年は旅に出たかったのではなく、あくまで自身が求める居場所と安定を切実に欲していたのであり、刹那的でありながらも、リアルで地に足についた価値観が背景にある。
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